脱近代宣言
ヒーターの電源をONにして、ベッドの上で藤子不二雄の「まんが道」を読む。手を伸ばせば届く場所にはパイの実とアイスコーヒーがある。今日中に8巻までは読む。時間はいくらでもある。昼まで漫画を読み続けて、それから好きなだけ寝るつもりだ。
先月会社を辞めた。上司が体育会系でパワハラが辛かったとか、細かいことをねちねちと言われたとか、残業代が付かなかったとか、休みが全然なかったとか、理由を問われるといくらでも答えるが、本音を言うと「早起きして会社なんか、行きたくねえ。俺のペースでゆっくりさせろ」というところだ。
好きな時間に起き、本棚に並べられた、買ったは良いけれどなかなか読む時間がなかった本を読み始めたり、近くに定食を食べに行ったり、テレビを見たりする。晴れていて、かつ気分が良ければ自転車で浅草まで行ったりもする。なにはともあれ、時間の何もかもが好きに使えるっていうことは、良いことだ。
「空白期間が長いと再就職に不利だよ」だとか「何もすることがないのなら、TOEICの勉強でもしたら」だとか、うるさい奴らもいるけれど、俺はいま、この生活が最高で、それをずっと保っていたい。放って置いておくれやす。
新卒採用で入った会社を5ヶ月で辞めたから、失業保険はもらえない。12月のボーナスも貰えなかったから、貯金は50万しかない。その事を考えると、とたんにさっきの威勢がなくなる。
俺はこのままの暮らしをずっとやっていきたいのに、世界は俺の頭の中とは全然違う。俺の出したいスピードよりもずっと早い速度で世界は動いていく。俺みたいに速度に乗れなかった奴はどうすりゃいいんだろう。社会的立場、ゼロ。発言権、無し。
石原慎太郎とか田中康夫とか村上龍みたいな、時代の代弁者、新しい俺たちの代表、早く現れないかなあ。
俺みたいに考えている若者、いっぱいいるはずだ。目が覚めたら起きて、眠くなったら布団に入って、金が欲しい時だけチョッコっと働いて、だらーっと好きなことして。暇だから漫画や小説を書き始めたりするけれど、別に賞に応募するわけでもなく。編集者に見せに言って「商品にならない」なんて言われて嫌な思いするよりは、ミクシーでともだちだけに公開して。そんな風にぬるく生きていきたいんだってゆーの。
ニート支援だとか、フリーター対策だとか、馬鹿か。いちいち気にさわる。年寄りが自分の理解出来ない価値観に拒絶しているだけにしか見えない。俺からしてみたら、こんなに快適な生活はないのに。時代劇で一番のんきに見えるのは「ご隠居」だっていうことだ。刀を振り回して世直しなんて、苦労が多すぎてちょっと無理。
俺の父親は、朝5時に起きて、犬を散歩させ、朝ごはんを食べるとバスに乗って会社に行く生活をもう30年以上続けている。夜は8時くらいに帰宅して、夕飯を食べて、テレビを見てから11時半に就寝。木曜日だけは、会社の帰りにテニススクールに行くから帰りが遅くなる。
そんな生活のサイクルをずっと続けている父親が金を稼いできて、俺はそのお陰で大学を出た。一年間の留学まで体験させてくれた。俺はそんな父親に感謝しているし、深い愛も感じる。実家に帰り久しぶりに家族に会うと、犬がいて母がいて父がいて弟がいる。俺はごく自然に、この家族が好きだと思う。
それでも、俺には朝5時に起きて毎日同じ電車に乗って会社に行く生活は出来なかった。なんだってそんなキツイ思いをしなければならないのだ。それをしなくても、生きていけるのに。自分ひとりは。
今になっていう事で腹を立てたりしないでもらいたいけれど、子供の頃からさんざん言われていた「良い大学を出て良い会社に勤めるのだ」という主張を、俺らは、半ば冗談半分にしか聞いていなかった。俺たちが子供の頃に流れていたニュース。「良い会社」で何人もの人間がリストラに合っている光景や、良い会社がぶっ潰れた記者会見を、俺たちがまさか見ていなかったとでも思っているのだろうか。あるいは、見ていても理解出来ていないとでも…。そう簡単に騙されやしないよ。
「いま、人生いい感じだなあ」と思っている人間が一体どれくらいいるのだろうかと考えたときに、不思議な感覚に陥った。俺らの親の世代はわりとそういうことを思っているだろう。子が育ち、自分たちも労働からそろそろ開放されようとしている。これからは好きなことをして生きて行くことが出来る。
けれど、俺たちの世代の人間で「いい感じだ」思っている人間は殆どいない。そして、俺たちには「いい感じ」を待つためにこの先何十年も待とうという得体の知れない忍耐力は、ない。それは俺が俺の世代だからわかることだ。この先の長い年月をじっと待ったところで、俺たちが「いい感じ」になる可能性がひどく少ないと、いくらなんでも、もう誰だって分かっているのだ。会社に守られるなんていう幻想はまず真っ先になくなったし、日本がこの先強い国力を持って福祉が充実するなんてことも、どうしたら信じられるだろう。
一人ひとりが強く生き抜くことしか残されていないのだと思っていたら、今度は友愛だとかなんとか。振り回されるこっちの身にもなってもらいたい。もしお前が本当に「友愛」だとかなんとかいうのであれば、しっかりやれよ。いいか。しっかり友愛するんだよ。と叱咤激励したところで友愛は絶対に成立しないことが分かっているこの既視感。いい加減、俺たちはそういうやり方にうんざりしている。サバイバルでも友愛でもどっちでも良い。それは、俺たちが決める。というのが俺たちの世代の考えだけれど、そういうとまた「ゆとり」だのなんだのと年寄りに悪口を言われるのが関の山。そうなりゃ自然、家に引篭もりますって。家にひきこもって、時折バイトでもして、気楽に暮らします。
年寄りの悪口も、政治家の嘘も、もうどうでも良い。おまえらはおまえらでがんばれ、俺たちは、俺たちで各自ひきこもって勝手にやるよ。頭しぼって不老所得で気楽に暮らす。最高じゃないか。何が悪いのか全く分からない。いずれ沈没の船に乗り込んで一生懸命延命考えている奴らの気がしれん。ヒャッハ。
